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責任回避のカラクリ-「自己責任」という言葉をめぐって(2) 小森陽一さん(東大教授)に聞く
北海道民医連新聞 2011.01

 この言葉を使っている人は、みんなわかっているかのようなふりをし、必ずしも意識化されていない、「社会的な集合記憶」に働きかけているだけなのです。極めて危険で、無責任です。
 「自己責任」という言葉は、2004年イラクで日本の若者3人が人質になったときに、「この事態は自己責任だ」と小泉純一郎政権の政府関係者が発言して、マスメディアを通して一気に社会的に流布しました。当時-多くの国民は戦場であるイラクに自衛隊を派遣していいのかと疑問を持っていました。
 かつて自衛隊をカンボジアにPKOで派遣した宮沢喜一首相は、「将来にわたって決して自衛隊は戦場に送らない」と明言し、「PKO5原則」を作りました。この基本的原則に照らして、自衛隊のイラク派遣はおかしいのではないかと、自民党支持者も含めて思っていました。北海道では箕輪登さんが小泉首相を憲法違反で訴えました。小泉首相は追いつめられて「自衛隊の行くところが非戦闘地域だ」と、原因と結果を逆転させた国会答弁をせざるを得ませんでした。最高責任者である首相が、まさに完全に自分の行政の長としての責任を放棄したのです。それをみて、国民はみんなおかしいと思っていた。そして、3人が人質になったのは、こんな無謀なやり方で自衛隊を派遣したからだという因果関係を多くの人が認識しました。
 そうであるなら、自衛隊を派遣した日本国民全体に責任があるのではないか。イラク派兵やめうとデモに参加して表明していた人は限られていました。明確に意思表示できなかった圧倒的多数の人たちは、3人が人質になったのは「自分たちの責任ではないか」という負い目を持ってしまったのです。そこで「危険なイラクに行ってしまった連中の自己責任だ」という政府の責任放棄の主張に同調することで自分の罪と罪障感を振り払おうとしたわけです。
 2004年に使われた「自己責任」という言葉は、「危険なイラクに行った個人の責任」へと完全にシフトされ、多くの人が持っていた十分には意識化されてはいない負い目、不安、自分がやるべきことをやっていないという罪障感に働きかけられて、一気に流行語のように広がったのです。

「責任」は何処へ

 ここで、2004年にいたる「自己責任」という言葉の日本社会における「社会的な集合記憶」をふりかえってみます。「自己責任」という言葉を政府関係者が影響力のある形で使ったのは、バブル経済が崩壊し、無謀な不動産取引に手を出した金融機関が大量の不良債権をかかえたときに、「これは、国から税金を出して救済すべきなのか、本当は銀行の自己責任ではないのか」と金融機関の最高責任者に対して向けられた言葉としてマスメディアで一斉に使われていったのです。

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